残されたノート、宮地ゼミナール創立者富張喜一郎について(2017年11月)

宮地ゼミナール創立者の富張喜一郎が今年2017年平成29年1月25日に八十九歳にて永眠いたしました。
改めて生前のご厚情を感謝申し上げます。

創立から47年間、数多くの生徒たちに算数・数学を教え、生徒たちと一緒になって入試直前まで勉強し、テストや教材を作り、毎月の会報を作成し、学校説明会に奔走し、入試研究に取り組み、学習塾を運営するという多忙な生涯でした。
数多くの数学のノートと日記が残されました。自身はとても几帳面な性格で、数学のノートを見ますと数式や文字、あるいは図がどれもきちんと揃えられていて細かい文字でも大変見やすく書かれています。
一時ブームになった「東大生のノート」そのものです。

古い戦時中や戦後の混乱期の高校、大学時代のノートや本も残されています。
紙が貴重だった時代を生きてきた人ですので、白い広告の裏を大切に使って書かれたものもたくさんあります。
日記をめくると数学を解きながら死にたいとか、この職業が天職だとかという言葉が見つかります。
数学とそれを教えることがどんなに好きだったかが伝わってきます。

晩年は頸椎症の影響で手が思うように動かず、文字がうまく書けなくなってしまいました。
それでも高校の教科書を持ってきては、頭が錆びないように一生懸命問題に取り組もうとしていました。
新聞は毎日欠かさず読み、数学や昭和の歴史に関する本を中心に数多くの本を読み続けました。
今日のこの瞬間を有意義にしようという意志が、日記の最後の最後まで貫かれています。

私は創立者であり私の父である喜一郎を失って初めて、その知識の深さ、正確さ、記憶力の確かさ、綿密さ、ずば抜けた行動力、愛情の深さに改めて気づかされました。
父が大事に育てたこの宮地ゼミナールをこれからも大事に育てて参りたいと思っています。

これからもどうぞよろしくお願い致します。

Miyachi-Zemi

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