本を投げる!(2013年11月)

女子校のN中学高等学校の入試説明会に行ってきました。
校長先生のお話の後、学園祭のために生徒が作った次のようなビデオが流されました。

ベットの中で一人の女の子が、飲み終わったペットボトルを少し離れたゴミ箱にポイと投げると、見事にストンと入ってしまいます。
女の子は入るのが当たり前で、何もなかったかのようにまた寝てしまいます。
次にビデオが逆回転して、ゴミ箱から生徒の手に戻ったりします。
今度は学校の傘立てに傘を投げると、カタカタと金具に当たりスポッと入る。
ボールを後ろに投げると、歩いている生徒が持っていたバスケットに入ってしまう。
ペットボトルが投げられる、投げられる。
授業中、後ろを見ずにペンを後ろに投げると、後ろの生徒がそれを当たり前のように受け取り、それを使った後に前にポイと投げると横に出していた生徒の手にスポッと入る。
後ろにポイと投げた本がロッカーにストンと入る。
そういう風に投げた物が見事にあるべきところに戻り、投げた本人は当たり前のように振る舞うことを繰り返しつなげたものでした。
コミカルで不思議な印象を与えます。

最後にはこの映像を撮るために何度もNGを出したのでしょう、NG集が続きます。
教壇にいる担任の先生も協力していて、本を後ろにほうり投げます。
本は棚に乗らず無残に落下し生徒と笑っています。

私はこのビデオを見て大変不快になりました。
おそらく成功するまで何度も繰り返したと思われる本の痛み、傘の痛み、ペンの痛みを感じたからです。
そんな痛みを感じずにアハハと笑い合うことに違和感を覚えました。
同じような作品を同じ女子校のM中学高校で見たのを思い出しました。
その時は全く不快ではありませんでした。
よく考えてみると、そこでは投げられて良い物、ボールや紙くずなどが投げられていたように思います。
品とユーモアがありました。

しかしこのビデオにはそれが感じられません。
河合隼雄氏は「日本の教育の底にあるもの」の中で次のように言っています。

「日本人の宗教観や倫理観は日常生活そのものと深く結びついており、キリスト教のように教義、説教、礼拝などと明確に結びついてはいない。…「もったいない」ということが子どもを育てるしつけの中の中核になっていた。「もったいない」は「物の節約」と同じではなく、ものそのものに対する畏敬の念にまで深めることのできる宗教性をもっている。…物が豊かになることや、生活が便利になることはいいことである。しかし、それによって失われる大切なことを、どのような形で補償するかについて、日本人はあまりに無自覚すぎたのではなかろうか。」(P146,47文藝別冊「河合隼雄」河出書房出版第2版2013)

「物の痛み」を感じない、倫理観や宗教観などない典型を見たようで悲しくなりました。
何よりも物の大切さを教えるべき立場の教師が、本を投げ落として笑っていること、学園祭というお祭りの中だけならまだしも、入試説明会の中でこのビデオを採り上げるという学校のセンス自体を大変残念に思いました。

説明会終了後、どうしてこのビデオを放映したかを司会者に聞いてみると、こういう作品を作れるという生徒の力量を見て欲しかったからとのことでした。
知識を持った悪魔を作ってはいけないとする宗教系の学校や、「ごきげんよう」を挨拶の言葉とするお嬢さん学校ではあり得ないだろうと思いました。

Miyachi-Zemi

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