文章題ができない (2009年3月)

最近は一般的に読解力に乏しい子が増えているようです。
算数でも計算はよくできるのに文章題ができないとか、漢字は得意なのに文章題はからきしだめ、作文となると全く書けないという子が増えているのです。
私はこの原因を次のように考えました。

1.親が本や新聞、教養に無関心、あるいは小さいときから子ども自身に勉強を任せてしまって、読み聞かせや、子どもの音読をチェックする家庭学習をやらなくなった。
2.ゲーム感覚が日常生活に入り込み、結果がすぐ出て、音や画面の刺激が与えられないと、何も取り組めないという態度が身に付いてしまった。
3.プリント学習などで、計算や漢字だけを、人より素早く、人より先へ進んだほうが良いと思ってしまっている。

しかし、文章を音読させても、そこに何が書かれていたのか何も残っていない子どもが増えているのはどうしたことでしょう。
これをとても不思議に思っていましたが、前述の河合隼雄著「河合隼人雄のこころー教えることは寄り添うこと」を読んで納得しました。
「第18章 読解力をつける」の項にはこう書かれています。

「(ゲームの中で)考えていることに時間をかけるよりは、早く反応して、当たるまでやればよいということに慣らされてしまうのだ。 その上困ることは、幼児にテレビやビデオなど見せていると、もちろん筋などはわからないが、急に爆発が起こったり、不思議なことが起こったり、というわけで、全体とは関係なく、ぱっと興味を引くような場面が出てくるのである。そこで、幼児たちは、全体の筋書きとか、前後の関係などには全く無関心に、ともかく制裁的な場面が出てくるのを待って楽しむことになる。 これなど、「読解力」など必要はない、ということを、幼児のときから習慣づけているようなものではなかろうか。 この点をアメリカでは小児科医が心配して、幼児にテレビを見せないように、と強く勧告を出しているし、わが国でもこれにならう動きが生じてきている。 全体としては訳がわからぬが、瞬間的には面白いなどという映像を見せ続けることが、子どもの発達にどれほど悪いかはすぐ了解できるであろう。」
(P.100-101河合隼雄著「河合隼人雄のこころー教えることは寄り添うこと」小学館 2008年)

幼児の時期から瞬間的面白さにのみ反応する習慣がついてしまっているのです。
小、中学生になってこれを改めるのは不可能でしょう。
それでもこつこつと、子どもとのよい関係を保って寄り添いながら、辛抱強く、読み聞かせ、音読チェック、書写などを繰り返していく、これが少しでも読解力のアップにつながる唯一の方法のように思います。
漢検のためにゲーム機を使って勉強する、これは長い目で見るとマイナスの影響があると私は思います。

Miyachi-Zemi

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