日本語文化の危機と新聞(2008年3月)

最近、生徒たちと話していて、生徒たちの分からない言葉が多いのに驚きます。
ことわざや四字熟語はその筆頭で、敬語が分からないのも多いです。
しかし、私たち大人が普通に使っている言葉を知らない生徒が目立つようになってきました。
これは何も特別な生徒ではなく、一般的な傾向です。

そういう生徒は、ここで何度も話題にしている、文字の書き順もめちゃくちゃの生徒が多いのです。
例えば、ひらがなの「め」「と」「ぬ」「な」「よ」「せ」「も」「や」などの書き順さえ違うのです。
私は気持ち悪くてしょうがありません。

家庭でお母さんたちも忙しく、「かきかた」を習うときにしっかり見なかったのだなあ、仕方ないなあと考えてきましたが、こんな生徒が複数出てくると、私はどうしても親の責任を考えてしまいます。
なぜ、文字を習うときにしっかり見なかったのか。
なぜ、今こういう書きかたを親が注意しないのか。
これは見過ごすことが出来なくなりました。

はっきり申します。これは親の責任です。
書き順がよくないなら塾や誰か他の人に直してもらおう、こう考える人に、あなたはそれでも親ですかと言いたいと思います。
日常のしきたり、箸や鉛筆の持ち方、やって良いこと悪いこと、こういう生活の上での基本を教えるのは、親であり、教え教わりしていくうちに本当の親になっていくものでしょう。
「かきかた」は「美」に通じる日本語文化のひとつだと思います。

さらに、少し難しい言葉が通じません。
普段、分かり合える友達とだけ接し、目上の人とは話さないのでしょう。
親ともニュースで話題になる政治や裁判、経済、思想などについては話さないのだと思います。
テレビでニュースは見ない。マンガが愛読書、学校の読書の時間は易しい言葉で書かれた本しか読まない。
これでは難しい文章など読めっこありません。
自分の出来る範囲しかやろうとしない何の発展性もない人間が増えるだけです。
小さいときからの習慣になってしまえば、この習慣を覆すのは本当に困難になります。

今回、生徒たちと話していて気付いたのは、こういう傾向のある生徒の家庭は新聞を取っていない家庭が多いことです。
私は、今の今まで新聞を取っていない家庭はほとんどないと思っていました。
ところが皆に聞いていくと意外と新聞を取っていない家庭が多いのです。
「テレビ欄だけでなく大きな見出しだけでも読むようにしなさい」と注意してきました。
「うち、取ってないもん」という返事が返ってこようとは気付きませんでした。
もちろん新聞社や新聞屋の回し者ではありませんから、新聞を取りなさいとは言いません。
その代わり時たま、ちょっと難しい本を一緒に読む、ちょっと大人びた言葉を使って会話する、ニュースを見てその話題を話し合う、こんな努力が必要でしょう。
とにかく親が早く気付いてほしいと思います。
この傾向は日本語文化の危機であると思います。

Miyachi-Zemi

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