家族と食事(2004年3月)

以前、TVでこのようなドキュメントを見ました。
その家庭は、ご夫婦と中学生の娘、小学生の息子の4人暮らしです。
ご主人は毎日仕事で帰宅が遅く、お姉ちゃんは受験勉強で遅くまで塾。
夕食はお母さんは台所でパスタを、小学生の男の子は居間でテレビを見ながらおでんか何かを食べているのです。
一緒に食事をすると皆食べたいものが違い、言い合いになったり、喧嘩になるので、一人一人別々に食べたいものを食べたいところで食べることにしたのだそうです。
こうした結果、喧嘩にもならず、家族みんながいがみ合わずに、うまくいっているというものでした。

こんな家庭はかなり特殊な家庭だろうと思っていたら、最近、実際皆別々で好きなものを食べているというのを耳にして、こういう家庭が特殊ではなく、増えてきているのかと驚いてしまいました。
このような生活では、箸の持ち方や行儀について繰り返し注意されることもなく(したがって快適なのですが)、我慢したり、人を思いやるという気持ちの育つ環境が、一番身近で根本的なところから、すっぽり抜け落ちてしまっているように思えてなりません。
誰も不満はないし、叱らなくて済むのですから、ご両親は楽に違いありません。
しかし子供にとって叱られないという事は、親からの愛情が感じられず、成長する過程の中で精神的に大きな問題を抱えることもしばしばあることです。

いったい家族とはなんでしょう。
一緒に同じ食事を囲んで、楽しいときもあれば、遠慮なく喧嘩するときもある、そういう中から絆というものが生まれ、相手を深く思いやる精神が生まれてくるように思います。
食事は学習の第一歩でもあると言えると思います。
一緒に食事をしないということは根本的で大事な絆を弱め、子供達の精神的な発達を阻害しているように思えてなりません。

一人一人別々に食事すれば皆快適、勉強は塾で集団生活は学校で学べばよい、といったように単純に合理的に割り切って考えることは、いろいろなひずみを生じてしまいがちです。
合理的な考えは、物に対する時は良いけれど、人間を対象とする時はうまくいかない場合が多いし、後々になって大きな精神的な問題を引き起こす原因になることが多いのです。

単純に割り切って、迷い悩むことを避けていては、その解決から生ずるであろう大きな喜びや充実感も味わうことができません。
どうぞ、いさかいを生じることがあっても、家族一緒に食事をとって、行儀作法、箸の持ち方など伝えていってもらいたいと思います。

Miyachi-Zemi

TOP

お知らせ 教育方針 入会案内 TOPIC 室長ページ